時星リウス、OUTに載る
ありがとうドラグナー
えっと、時星リウスです☆
第6回目となる今回は「時星リウス」の名前が
初めて世に知らされたときの 軌跡 を辿っていきますね。
1986年6月27日の夜
「時星リウス」の名前を 歴史に刻む野望を僕は抱きつつ
月刊ホビージャパンの新コーナーだった「行くぞ!怪人軍団」に
仮面ライダーストロンガーのイラスト描いて
初投稿しちゃったぞ!\(^o^)/
ところがどっこい 世間はそんなに甘くねー!
あんな下手糞な落書き同然なもん
没るに決まってんだろーがあッ!!
それからというもの
イラストはやめて 文章だけにした時星リウスのハガキは
ホビージャパンだけにとどまらず
いろんな雑誌に投稿しまくりまくったのですよ。
だがしかし
すべて没。
何度投稿してもボツ…
ボツ! ボツ !!ボツ!!!
ボツだぁwwwwwwwwwwwwwww\(>o<)/
もうね、ペンネームを
「没ちゃん」
に変えようかと思ったくらいだわよ (笑)
せめて1回くらい載らないと気が済まねぇー!
って精神状態だった僕は
今思うと完全に暴走しちゃってたよなぁ…。
全くもってハガキ代の無駄
無駄 無駄 無駄 無駄 無駄 無駄ァwwwww
うおぉぉぉッ!?
貴重なお小遣いがぁぁぁーーーッ(>Д<)ノ💦
さすがに 半年も経って 年が明けた頃になると
毎年恒例となっている
僕のアタマん中に住みついてる連中たちによる脳内会議
いわゆる「新春☆自分会議」が行われるのだが
(ちなみにこの自分会議については次回以降で説明します)
そこで、
これ以上はお金がもったいないからという理由で
投稿する雑誌は 月刊OUT の一択に絞ろう
という結論が下ったわけなのよ。
まさしく昭和62年、1987年は 勝負の年となっていくのだった…
で、3月27日は ちょうど月刊OUT 創刊10周年記念号が発売される!
男性読者のアウシタンだった僕にとっては
最高潮に盛り上がっていた時期でもあったのね。
この波に この流れに なんとしても乗ってみたい!
そう意気込んだ僕が目にしたのは
「南田操のアニメDJ」
7月号のお知らせで 機甲戦記ドラグナー!
ZZダブルゼータの後番組として放送していた ポストガンダム的なリアルロボットアニメで
当時は かなりハマって観ていたのよね。
そして 僕が挑んだのは
⑤ なぞかけ倶楽部 規定部門「ドラグナーとかけて」
このネタ考えるまでもなく パッ と思い浮かんだのだ。
「ドラグナー」とかけて「没連の嘆き」ととく
その心は「本当なら俺がのるハズだった」
何度も 何度も 一年近く没が続いてたからこその即興ネタだったのですがねw
これがまさかの初掲載!!
しかも 一番上に載ってるwwwww Σ(≧◇≦)
そしてなんと「時星くん、うまいね」とコメントまで付けてくれているぅwwwww✨
ううおおおをぉぉぉーーーーッ!!
遂にやったああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!
いやもうね
1987年5月27日は 僕の中で
「時星リウスOUT初掲載記念日」として制定されました (笑)
ちなみに「本当なら俺がのるハズだった」の元ネタはというと
ドラグナーには ジェームス・C・ダグラス というキャラが 本来のパイロットとして搭乗するハズだったのに、
主人公の ケーン・ワカバ が成り行きでドラグナーに乗り込んでしまい、
制御コンピューターに ケーンが正規パイロットとして生体認識された為に もう二度と変更できなくなってしまい、
ジェームスはしばらく「本当なら俺が乗るハズだったのに」と 嘆くシーンがあったのです。
このジェームスさん、最終回まで生き延びたものの、あまりたいした活躍ってなかったのよねw
なんだか僕のその後の人生を比喩してるような存在感の薄い方かもしれないけれど、
この方おかげで僕の野望の第一歩が叶ったのだから
僕はけっしてあなたのことを忘れません!
ありがとうドラグナー!ありがとうジェームスさん!(`・ω・´)ゞ
・・・え?
その後、時星リウスはどうしたかって?
結局ね、後にも先にも時星リウスが雑誌に掲載されたのは
このときの1回だけでした…。
なんかね、一度載ったら もういいや ってなっちゃったw
大学受験とかも控えてたし。
でもまあ いいんです。
あの時代から30数年もの日々が過ぎ、
5年前からTwitterを始めたり、
いまこうしてブログも開始したばかり
いよいよ、これからですよ、これから!
「時星リウス」
をもっと広めて、歴史にその名前を刻みまーす! (^^ゞ
野望はつづく・・・
(@^^)/~~~